北海道支部
プロフィール
J.L.A.A.会員の皆様こんにちは。北海道支部長の小澤(こざわと読みます)です。
この場を借りて自己紹介させていただきます。
私、1950年に北見市は常呂川の産湯に浸かった、根っからの道産子であります。
団塊世代の最後尾、北海道もご多分に漏れず、周辺には子供が溢れていました。
ちなみに同世代のゴチャゴチャした関係が、いまだに続いています。
私、何を思ってか上京し、1971年には芦ノ湖の貸しボート屋鈴木のボートに乗ってトローリングに狂っていました。
ヒレピンの化け物のようなニジが跳ねていた時代だったなー。
しばらくして、中禅寺湖に仲間と購入した船を持ち込むことに成功。
岡甚から購入したジョンソン4馬力のエンジンで、中禅寺湖は言うに及ばず、毎年夏には一ヶ月ほど仕事を休み、帰郷を兼ねて嫁さん同伴で、東北のダム湖から北海道まで、釣り遠征に出かけていました。
こんな生活を10年ほど東京は錦糸町で続けていましたが、ふるさと恋しさのあまり、1981年に北海道にUターン。
帰ってからしばらくの間は、1人で何を思うかニヤニヤしながら朱鞠内湖で釣りに明け暮れる日々を過ごしていました。
そんな時、4ポンドクラブの出身で、芦ノ湖でも名声をはせた佐藤晴雄氏と北海道の地で偶然出会いました。
それから私の釣りスタイルも一変。
とにかくこの男、誰彼かまわず仲間に引き込むのがうまい。あっという間に彼の影響で、北海道中の湖でトローリングする釣り師の姿を見かけるようになりました。
私がJ.L.A.A.に入会したのもその時期です。
彼の勧めで入会したものの、すでに北海道には相当数の会員がいました。
確か道北支部だけでも80人は超えていたはずです。
その中心はアホウドリクラブでしたが、あるとき湖で釣りをしていると、見知らぬ人から「旭川のアホウドリです」と声を掛けられたときには苦笑したもんです。
その当時、私は形だけJ.L.A.A.に参加していただけで、支部の活動のほとんどを佐藤氏が1人で取り仕切っていました。
もちろん道内のトローリングでは当クラブがダントツの成果をあげており、まあ、独壇場でしたな。
10台近いトレーラーを連ね、20人以上の人間で湖畔の一部を独占してしまう光景は実に見事なもので、いきおい宴会もドハテなものになりました。
それが引き金になったかどうかは定かではないけれど、急増するボート釣りが規制の対象になったのもその頃でした。 今も、海や湖へのボート乗り入れは、新たな規制として続いています。 そんな折、私がクラブに参加して、独自の規約作りが始まりました。 大きくは次の2点です。 ①船舶免許の取得、トレーラー車検、船検の徹底。 ②春のアメマス、イトウに加え、本命のサクラマスの禁漁。 この2点を遵守することを会員に徹底しました。 当然予測できたことですが、②がネックになって、その後新規会員が伸び悩みましたが、どうにか規約を徹底することに成功しました。 ただ残念なことは、クラブの再編成の途中で佐藤氏が亡くなられた事です。
現在、北海道で会員として残った仲間は10人足らずです。 しかもただの年寄りばかり、果たしてクラブもいつまで続くことやら、お互い体も頭も心配な年になってきました。 順番で行くと、次に佐藤氏と面会できるのは私のようです。 そのときをもう少し先の楽しみにとって置き、今日もいそいそとボートを漕ぎ出します。